個人が自由に起業できる時代となりましたが、どのような事業を行う上でも利益を追求していかなれけばなりませんよね~🤔
「こんな商品があったら買う人いるんじゃないのかな~」「コラボしてこんな商品作ったらめっちゃ売れそうだな~」とか、「商品が古くなってきたからトレンドを取り入れて新しい商品を出そうかしら」、、
利益を追求する『資本主義』のスパイラルにどっぷりつかっているのに『資本主義』である社会のことなんて、全く意識していないのでは❕
ふとそのようなことを思い浮かべつつ資本主義の日本について調べていたら、儲ける機会が多くの人に与えられているってことは『民主主義』にもベクトルが向いていそうだけれど・・・と感じてしまいました。
ということで、日本って資本主義か!はたまた民主主義か!どっちなの❓についてまとめてみましたのでよければどうぞ👍
日本は資本主義か民主主義どっち?
まずは結論をどうぞ!
今の日本は資本主義でもあり民主主義でもあります。
ただし、資本主義や民主主義には様々な種類があります、ひとまず広い意味で捉えてもらえればと思います。
なぜどちらでもあるかですが、それを理解するうえでもそれぞれの意味を確認しておきましょ~。
【資本主義】・・・資本(土地や設備やアイデア、データなど)を用いて利益を追い求める仕組み。お金をもっている人が工場を建設したり労働者に働いてもらい、商品やサービスを提供して得た利益をさらに繰り返して利益をもとめる仕組み。
➡経済の仕組みのことを指しますが、今の日本では資本さえあれば商品を生産してお金儲けができますので資本主義といえますね。
一方で、、
【民主主義】・・・人々の力で物事をきめること。自分たちのことはみんなで話しあって決めること。日本の選挙や政治は間接民主制をとっている。少し分かりやすくいえば、みんなが投票した選挙で選ばれた議員が話し合って政治を行う=代議制民主主義!
民主主義の語源はギリシャ語のdemos(人民)+kratia(力や支配)が合わさりできたdemocratia(人々の力)です、それが派生してデモクラシー(democracy)に。
➡政治の仕組みのことを言います、今の日本の選挙は代議制民主主義であり、18歳以上の国民に選挙権があたえられております。
簡単ではありましたが、それぞれの意味をみてもらえれば【経済の仕組み】と【政治の仕組み】で異なるので、日本はどちらでもあると言えますよ~。
単に〇〇主義という言葉が同じだけですね。
日本の資本主義への流れを振り返ってみた
さて、先ほど結論で【日本は資本主義】とお伝えしましたが、資本主義になったのはいつからだったのでしょうか?
まずは日本の資本主義の流れ!を時系列でご紹介しておきましょう。
資本主義の理論は、個人や企業が自由に競争することで世の中がより豊かになるとアダムスミスの「国富論」【見えざる手】が根本にあります。
つまり、封建制度が撤廃されて(個人が縛られる関係がなく行動でき)個人が土地やモノを所有することができて、自由な競争のもとに商品を提供できるか(一定の生産力)が重要になります。
明治時代以前
明治時代より前に、日本で商人の活動が行われなかったのでしょうか?
平安時代辺りから触れていきますね。詳しく記述しますと長くなりますので海外との取引に限定して触れていきますね。
平安時代中期~鎌倉時代中期
※西暦900年頃~1200年頃
近隣の中国(当時の宋)との間で日宋貿易が行われました。主に商人同士のやりとりとなります。当時は交易という要素が強かったので、日本からは木材や刀、砂金など宋からは書籍、絹織物などが交換や売買されました。
平安時代の武将である平清盛は日宋貿易を推し進める役割を果たし、今でいう兵庫県神戸市兵庫区あたりに大和田泊(おおわだのとまり)を整備、交易船が行き来できる港を整備した。
鎌倉時代~室町時代
鎌倉時代に入っても宋との貿易は続きましたが、宋の滅亡や鎌倉から室町時代の移りかわりもありました。
室町時代には、日本と明(今の中国)の間で日明貿易が行われました。約150年の間に19回の交易がおこなわれました。
モノとモノの取引が行われましたが、自由な競争のもとに商品を生産していたとは言い難くまだまだ資本主義には程遠い状況といえますね。
江戸時代
江戸時代には、長崎や薩摩、対馬の今でいう九州が中心に貿易が行われていました。主に取引相手は東インド会社、明や琉球などです。鎖国下の日本で唯一西欧諸国で取引をしていたのが東インド会社。
当時日本からの輸出は銀や銅が中心。海外からは生糸・砂糖・漢方薬などが輸入された。日本の銀・銅欲しさに諸外国からもっと取引を増やすように圧力をかけられることも多かったようです。
明治時代
※明治時代は1868年~1912年
1868年に明治政府になってから「文明開化・殖産興業(しょくさんこうぎょう)・富国強兵」をかかげて封建制度を撤廃して産業化を進めていきました。
イギリスでは1800年頃~産業革命が始まって石炭などのエネルギー源を活用した鉄道が走るようになったり、工場で機械の力を利用して商品を大量に作ることが可能になりましたが、、
広く貿易を許可した開国を機に世界の情報やモノ、文化が流れ込んでくるようになり、日本には明治維新の頃に伝わることになりました。
ちなみに『日本資本主義』の辞書的な意味を調べますとこのように!
明治維新を起点として資本主義経済を基調とする工業化の道を歩みはじめた日本は,1890年代から1900年代にかけて産業革命を遂行し,日露戦争後の1910年ころに資本主義社会の成立をみるに至った。
引用元:世界大百科事典 第2版
辞書では、1910年頃に資本主義が成立していると見解であります。
しかし、「上からの資本主義」と表現されるように、国が主導で行っていた産業が多かったのは事実です。その中心の1つでもあったのが生糸であります。1972年に政府が主導で富岡製糸場の建設され操業が開始、技術や生産が安定したのちに1893年に民間へ払い下げしておりますが、、
江戸時代から輸出の大部分をしめていた生糸の質に関する諸外国の要求を改善するために民間資本では厳しかった工場設立を政府が行うしかありませんでした。
1945年~
1947年~に農地改革が行われることで、地主と農民の封建関係(個人の自由が認められない)の崩壊が進んだり、財閥の解体や民主主義の動きもすすんでいきました。
それに伴い生産力も向上していき、高度経済成長への基盤となりました。米国主導により重化学工業である鉄鋼の生産能力が世界トップレベルに!
その後、過剰生産や不景気も経験しましたが、1年間に国内で生産されたものや提供されたサービスの価値をあらわすGDPが世界でトップクラスになりました。
現代の資本主義
現代で資本主義といえば、、おそらく自由に商品を作ってお金儲けできる世界のことをイメージして使うことが多いのではないでしょうか?
産業革命期は土地に工場を建てて従業員を雇って、商品を生産・加工するのがお金儲けの主流!つまり、土地やモノを所有していなければ競争に参加できなかったわけです。
しかし、現代ではアイデアやデータも資本になるわけであります。つまり、情報やデータをもとにお金儲けができて、日本ではネット環境されあれば競争に参加できるようになっているわけであります。
もちろん、資本主義の問題点である、一部の企業や個人に富が集中しておりますが、情報がグローバル化しているので、多くの人にチャンスがあるともいえるわけですね。
そう考えるとなんか今の日本の資本主義って、人々に対してベクトルが向いている気がして、民主主義と切り離れない感じがしますよね~!
日本の民主主義への流れを振り返ってみた
続けて日本の民主主義の流れにも触れておきますね。今の日本は民主主義であるとお伝えしましたがいつごろからだったのでしょうか?歴史を見ていきましょ~。
さて、民主主義の定義には話し合いができることを挙げております。
身分が明確に分かれている時代にも人々の話し合いがあったかもしれませんが、身分が低い人が上の人に話す内容には自ずと制約や建前があっただろうと予想できますね。この辺りに関わる出来事が出てきたら民主主義らしく思えてきそうですね。
そうした出来事にも注目して一緒にみていきましょ。
明治維新前
鎌倉時代~江戸時代までは武家社会でありましたので、明確に序列が決まっていたといえます。
武士が支配的な立場に位置して、百姓や商人は自由に意見することができない立場だったともいえるでしょう。
こうした社会では人々が議論して色んなことを決めるのはむずかしかったと想像できるのではないでしょうか。
今みたいにパワハラって言葉が認知されている時代でも『それ、、パワハラですよね~』とか言える人もそこまで多くないってことを考えれば、身分の違いがあれば自由に発言なんかできるわけないですね💦
明治維新
明治維新の頃(江戸時代末期~明治時代初期)では現行の民主主義にもつながる分岐点があったとされております。
1853年にアメリカからペリー黒船襲来による日本の開国が1つのきっかけに!
日本が開国後、海外から様々な文化やモノが流れてきました。そうした影響もあり時代は明治に入り政府がまとめた五箇条のご誓文では、「色んな問題は会議を開いて話し合おう」、「身分にかかわらず協力しよう」といった政治理念がまとめられました。
身分の壁はまだ取り除かれてないかもしれませんが、政府があらゆることに対して話し合っていこうと伝えたことは非常に大きなことだといえそうですね。これらの考えは海外の知識がもとになっております。
さらに、1890年に明治政府のもとで第一回衆議院総選挙を経て、議会もはじまりました。第一回帝国会議と言われており、当時は衆議院と貴族院からなる二院制。しかし、有権者は人口の約1.1%でまだまだ民主主義には程遠い。
大正時代
大正時代は民主主義の流れに向かうポイントとなりそうな事項を列挙していきますね。
※大正時代は1912年~1926年
■1925年普通選挙法の設立:
:納税額による有権者の仕組みが撤廃されて満25歳以上の男性に選挙権が与えられる、複数政党になる
➡人口の約20%が有権者に!
➡政権交代の可能性
ただし、すぐさま世界規模の争いの時代へ入りました💦
1890年に制定した明治憲法で示された三権分立も機能しませんでした
1945年~
現代に積み重なっていく民主主義をイメージしやすいのが戦後と言えそうです。時系列順で重要な出来事を列挙していきましょ~👍
■戦後最初の総選挙・・・1946年
戦後初の総選挙では、満20歳以上の男女が投票権をもつことになりました。民主主義と表現してもよさそうですね。
■内容を改正した三権分立・・・1947年
明治憲法では天皇の権力が独立しており結果的に権力が乱用されたのですが、1947年の日本国憲法の内容では天皇は国政に関わらない内容となりました。明治憲法時代の内容が強化されたものとなったとも言えます。
■日本国憲法の施行・・・1947年
3つ基本原理を掲げる。国民主権・基本的人権の尊重・平和主義。国民主権とは、民主主義の語源でありますデモクラシーに起源があります。
■農地改革・・・1946年~1950年
こちらは資本主義にも影響を与えるものでありますが、地主の土地で耕していた農民は地主に対して高額な小作料を支払うことを義務付けられて、地主に忖度することが必要でした。ですが、農地改革によって従来の地主が所有する割合は1割程度になったともいわれております。
最後に
将来的に【日本が資本主義であり民主主義である】といえるかどうかはわかりません。
というのも、歴史を長い目でみれば時代に応じて変化してきたものだと思うからです。それぞれの歴史を振り返ってみましたが、民主主義であった時代の方が短いですし、こと投票にかんしても定義通りの民主主義とは言えないでしょうね。
ただ、日本の資本主義と民主主義の歴史を振り返って感じたのは両者が違う概念ですけれども、お互いにバランスをとって大きくなってきたように感じるんですよね。というわけで今後も両者の関係に注目していきたいとは感じました。
世の中に完璧なものなど存在しない!けれども、どうすれば物事や商品がよくなるのか?常々、私が思っていることであります。今回は味気ない終わり方ではありますがご容赦ください🙇🏻
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