✅スーツの昔の言い方&日本での呼び方の変遷を参考にすることができます
最近、現役高校生youtuberが勝負服のことを「一張羅(いっちょうら)」と表現してたのを「カッコイイ」と思ったんですよね😂
自分が学生の頃はよく使っている言葉であったんですが、最近は聞かなくなっていただけに、、無性に懐かしく嬉しくなってしまいました。
ということで勤め人にとって勝負服であります『スーツ』が昔はどのような呼び方であったのか❕あれやこれや探ってみましたよ。
高度成長期(1955年頃~1973年頃)にバリバリ働いていたご年配の方にはとても懐かしい言葉でもありますので、覚えておいてさりげなく会話で使ってみてもよいかもしれないです。
スーツの昔の言い方
ではでは、昔の呼び方をご紹介してきましょ~👍
語源は挙げたらキリがないのですけれども、大きく2つが有力とされております。
①市民服(シィビルクローズ)が訛ってセビロと表記されたと言われております。同じころに、欧米から入ってきたワイシャツも英語の「white shirt」が訛ったことでワイシャツと呼ぶようになったそうでそうした流れがたったのかもしれません。
②1867年に福沢諭吉氏が片山淳之介氏の名前を借りて著したされる『西洋衣食住』では、明治の政治の幹部職の制服とされていたフロックコートのことを「割羽織」、背広のことを「丸羽織」と記しておりましたが、、
その後、仕立て職人が『背広』と呼んだのが広がったとされております。
『若いのに背広ってよく知っているね~』という話の展開になったときに、さりげなく「(語源の話)はどうなんでしょうか?」という話に持っていくのもいいかもね~
日本でのスーツ(背広)の歴史
ここからは日本にスーツが入ってきた頃から現代までの歴史についても触れておきましょう。
フロックコートの着用
開国(1853年)を機に、西欧の文化やモノが日本国内に取り入れられることになったわけですが、1868年にスーツのもとになるフロックコートが政府首脳陣の制服になりました❕
フロックコートのイメージはこのような感じ!色は黒でもっと厚みがありますが。
夏用のフロックコートも良いな pic.twitter.com/BIKHH9uxFI
— フォルゴーレ (@5385327CT) May 17, 2023
背広が普及
軍服がもとであるフロックコートが普及していたわけですが、1895年頃からは日本人の体型に合わせた2ボタンの上着である背広が勤め人の制服となりました。
その後、大正時代(1912年~1926年)には紳士の服装としても確立。仕事はもちろん制服として冠婚葬祭などは礼装がマナーとされております。
背広よりもスーツと呼ばれることに
『背広』よりも『スーツ』の方がファッションナブルに聞こえませんか?
『背広』という呼び方は背中が広く見えたからという特徴から呼ばれるようになった説がありますが、
時代が進むにつれて、海外の流行やトレンドが取り込まれていきましたよ。
例えば、1960年頃~はレディースのデザイン性が取り入れられたスタイルが生まれたり、1980年代頃には複数のタックが入ったゆったりとしたスタイルの登場。1990年頃は、高級感を演出した商品が比較的低価格で購入できるように!
2000年代頃には様々なスタイルのスーツがお店に並び購入できるよになりました。そうした影響もあったのでしょう。単なる背が広く見えるという意味合いの背広という表現よりもデザインが多様化したスーツと表現する方がしっくりくるようになったと思われます。
いつからスーツという線引きは難しいですが、平成生まれの方は背広と呼ぶことはほとんどないように感じます。
最後に
私自身は、背広とスーツ世代ではありますので『背広』と聞きますとカッコよく聞こえてしまうんですよね。
それこそ冒頭で述べました「一張羅」ではないですが、勝負服とか戦闘服のニュアンスを感じてしまうんですよねと思いつつ、年齢の割に古き良き言い方を愛する方だと判明してしまいましたね🤣
個人的に『背広』という言い方はこれからもなくなってほしくないですね😄